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平成29年6月4日 桔梗だより 平成29年6月号(6月2日頒布)

5月の陰陽會の祭典および行事

5月5日 端午祭          5月30日 疫病封じ祈願祭
     

6月の陰陽會の祭典及び行事予定

630日   夏越之大祓


東国三社参拝と神剣・布都御霊(ふつのみたま)

昨年二月に日本に起きる可能性の高い大地震を鎮め治める目的で諏訪大社に参拝した折り、諏訪大社の東方向に祀られている東国三社【鹿島神宮・香取神宮・息栖(いきす)神社】への参拝の必要性を書きましたが、およそ一年を経て念願が叶いました。

諏訪大社は中央構造線(ドイツのE・ナウマンにより命名された世界第一級の大断層)とフォッサマグナ(東北日本と西南日本の境目となる地帯・中央地溝帯)が十字に交わった将にその場所に創建されており、その諏訪大社の東方向に創建されているのが東国三社(鹿島神宮は真東にあたります。)です。

つまり、中央構造線上付近に諏訪大社と東国三社が創建されていると云う事になります。

また国譲り神話に於いても、諏訪大社・鹿島神宮・香取神宮の御祭神は非常に密接な関係がありますが、恐らく記紀以前からそれぞれの地に何らかの神々が祀られていたところ、大和朝廷にまつわる神々によって更に鎮め治めたのではないかと思われます。

ところで平安時代の延喜式に於いて、神宮の称号が与えられたのは伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の三社だけであり、更に、天皇陛下が正月元旦に一年で最初に行われる祭儀である「四方拝」に於いて、天皇陛下が拝される神々の中に鹿島神宮と香取神宮があり、両神宮は日本に於いて特別な神社である事が分かります。

また四方拝とは神道祭祀ではなく陰陽道による守護星・祖廟を拝礼する祭儀であり、祭文の最後には陰陽道特有の「急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)」と唱えます。

鹿島神宮の御祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)、香取神宮は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)です。

経津主大神とは神剣・布都御霊(ふつのみたま)を神格化した神であるとされ、武甕槌大神はこの布都御霊を用いて葦原中国(あしはらなかつくに)を平定しました。

そして時代が下り、神武天皇が東征の折り、軍勢が熊野の山中で妖魔の毒気に苦しめられていた時、武甕槌大神が高倉下(たかくらじ・豪族)の夢枕に立ち、「自分が行かずとも葦原中国を平定した剣を降ろせばよい。お前の倉に落とし入れるので、天津神の御子(神武天皇)に献上しなさい。」と述べ、高倉下は目が覚めると倉から布都御霊を見つけ出して神武天皇に献上したところ、剣の御神気で毒気を祓い、活力を得て後に戦いに勝利したと伝えられています。

更に両神宮にはそれぞれ要石(かなめいし)があることでも有名です。

これらの要石は地表に出ている部分は僅か(高さ15cm位、直径30cm位)であり、地下に埋まっている部分が非常に大きく、決して取り出す事が出来ないと言われています。

かつて、水戸光圀公が七日七夜掘り続けても底が見える様子が無く、諦めて作業を中止したと言われており、鹿島神宮の要石と香取神宮の要石は地下で繋がっているとも言われています。

鹿島側は上部中央部が凹形で、香取側は凸形をしており、鹿島側は大鯰の頭を、香取側は尾を押さえて、地震を鎮めていると伝えられています。

この様に鹿島神宮と香取神宮は対になっています。

そして鹿島・香取両神宮に比べるとかなり小さな神社ですが、東国三社として有名なのが息栖神社です。

息栖神社の御祭神は、久那戸神(くなどのかみ)、天鳥船命(あめのとりふねのみこと)とされ、久那戸神は武甕槌大神が葦原中国平定の際に東国への先導に当たった神、天鳥船命は副神として赴いたと古事記に記されています。また鎌倉時代には朝廷からの崇敬を受けて、元寇の際に国家安泰を祈願する為、勅使が派遣されたと伝えられています。

江戸時代には関東以北の人々が伊勢神宮参拝後に東国三社を参拝する習慣があったと言います。

そして三社の鎮座位置は、息栖神社を頂点とする直角二等辺三角形を描くことが知られています。

その三角形の一面を繋ぐ息栖神社と香取神宮との線はほぼ正確に東西へ伸びており、また鹿島神宮から真西に線を引けばそこには諏訪大社が鎮座しています。

さて、東国三社参拝に先立って、今年の初め、縁あって「布都御霊(ふつのみたま)」の御影代(みかげしろ・形)を基に、同一の形状のまま縮小サイズにして桃の木で謹製された剣を入手致しました。

布都御霊とは日本三霊剣のひとつであり、起死回生を図る大いなる力を持つとされ、また桃の木には邪気を祓う御神気が有ります。

布都御霊を当会の御本殿で光源になるものは何もない状態で撮影したところ、御剣の背後は丸く、御剣を載せている台をはじめ台の下の影まで黄金色に輝き、布都御霊の御神霊が写し出されたものと思われます。

またこの後、武甕槌大神が舊事の夢枕に立ち、「そちらに行かねば何事も始まらぬ」と、一刻も早く参拝せよと促されました。

そこで霊剣・布都御霊に武甕槌大神並びに経津主大神の御神気を尚一層増すよう、御剣を携えて東国三社に参拝した次第です。

最初に鹿島神宮にて昇殿参拝し、祈祷殿にて国家安泰を祈願致しました。

祭典奉仕は神社によってそれぞれ特徴があります。鹿島神宮では雷神でもある武甕槌大神を髣髴とさせるような、御神徳をいただく御稜威の神太鼓がとどろく雷鳴の様に打ち鳴らされました。

参拝の後、要石や奥宮などを巡りましたが、かなり広い境内でしたので時間の都合でゆっくり出来なかったことが残念でした。

次に息栖神社に参拝しましたが、ここでは社頭参拝にて国家安泰を祈願し、御札をお頒かち頂きました。

最後に香取神宮に参拝しましたが、既に夕刻に差し掛かっており、本殿まで早足で向かいました。

香取神宮にても昇殿参拝して国家安泰の祈願を希望したところ、待合室に通されてお茶まで出して頂き、二十分くらいでしょうか、少し長く感じる時間待つことになりました。

太鼓が打ち鳴らされて祭典が始まり、神職により祝詞が奏上されましたが、その祝詞は国家安泰の祈願の為に特別にご準備頂いたようで、「先の大戦で矛を収めしが…」、国を揺るがす危機が訪れるならば、今一度矛を取って立ち向かわんというような勇壮な祝詞を奏上して頂きました。

流石は武の神様をお祀りする神社であると感動致しました。

こうして滞りなく三社を参拝し、二柱の神々の御霊威を宿された布都御霊の御剣を持ち帰る事が出来ました。

さて先月号の桔梗だよりでも書きましたが、今、隣国をはじめ世界も日本も、大きな転換点を迎えようとしています。

各国は政治、経済、外交、軍事に於いて、国内外で生き残りを賭けた極めて難しい駆け引きが行われつつあります。世界のバランスが大きく変革しつつある時、これまで通りの思考・やり方ではこの荒波を乗り越えることは困難であります。

日本に於いては、隣国との関係を今後如何なる方向に持って行くのかと言う事を、真剣に早急に考えなければならない秋(とき)に来ています。

加えて、聖上の御譲位が来年にも為されるとのことですが、國體に少なからぬ影響があることは避けられない事を考えると、様々な事を考慮して万全を期さねばならぬと考える次第です。

然しながら國體を護持するにあたってやらねばならないことは膨大にあるにも拘らず、現時点に於いては白紙に近い状況です。

また昨今特に営利主義が政治にはびこり、利益追求があらゆることに優先する事態に陥っていることから治世の乱れが人心の荒廃を招き、人心の荒廃が枉津日の神の荒びを生じさせ、その穢れが人から人へ、物から物へ、国から国へと感染し、やがて天の戒めとしての天譴災異が次々と起きています。

そして枉津日の神の荒びは天譴災異だけでなく、不況、戦乱、伝染病の蔓延などを引き起こしていきます。

特に関東に於ける大地震、特に首都圏直下で起きる可能性も少なくなく、何とか被害或いは地震の規模を小さく止める意味合いもあり、諏訪大社並びに東国三社の神々にお鎮まり頂けるよう参拝した次第です。

日本人の果たすべき使命は、高天原をこの地上に実現する事にありますが、今、有史以来の國體の危機に遭遇しており、葦原中国は混乱を極めております。

人心の荒廃から枉津日の神の荒びが生じる訳ですが、その逆も然りであり、一人でも多くの方が穢れ、禍を祓う事で枉津日の神の荒びを鎮め、やがては国家を鎮めることにも繋がって参ります。

会員の皆様に於かれましては、今後とも清祓をお受け頂きまして、日々の穢れを祓い浄め、清々しくお過ごしいただくことでご自身に禍が生じることを遠ざけることがやがては国家を鎮めることにも通じていくことを是非ともご理解いただきたく存じます。

今後、舊事希軍による陰陽道の方術に、御神気を増した神剣・布都御霊を用いた特別な祭祀を検討しております。

個人の各種祈願から国家鎮護までご祈願頂けるよう考えており、後日改めてご案内申し上げます。

(ウィキペディア参照)


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