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平成29年4月5日 桔梗だより 平成29年4月号(4月3日頒布)

3月の陰陽會の祭典および行事

33日 桃花神事 斎行

320日 春季祖霊祭 斎行

 



4月の陰陽會の祭典及び行事予定

43日     神武天皇遥拝式

429日    昭和祭


天皇様の御本質【大嘗祭】

今前号では、【天皇と言う称号【即位の儀の礼服】から、天皇様の御本質について考察致しましたが、

今号では【大嘗祭】から考えます。

まず、大嘗祭とは新しく即位された天皇が、即位して初めてその年の新穀をもって皇祖並びに天神地祇を奉斎する新嘗祭(にいなめさい・しんじょうさい)の事を指し、一代一度の大祭と定義されています。

新嘗祭とは、毎年十一月二十三日(現在は勤労感謝の日)に行われる祭祀で、大祭と呼ばれる宮中祭祀の中で最も重要な祭祀の一つです。

新嘗祭では、天皇陛下がその年に収穫された五穀(稲・麦・粟・大豆・小豆などの主要な穀物)を皇祖並びに天神地祇に捧げて豊作を感謝すると共に、天皇御自らもその五穀を食されます。

六七三年に即位された天武天皇以前は、大嘗祭と新嘗祭とははっきりと区別されていませんでしたが、天武天皇以降、天皇が皇位継承後に最初に行われる新嘗祭を一代一度の大嘗祭とし、大嘗祭と新嘗祭が区別されるようになりました。

大嘗祭は秘儀とされ、祭儀の真義については殆ど分かっておりません。

大嘗祭の斎行に先立って、約一ヵ月前の十月下旬、天皇は御自ら河原に行幸され、禊(みそぎ)・祓(はらい)をされるならいがあり、これを「御禊(ごけい・ぎょけい)」と言います。

当初卜定(ぼくじょう・亀の甲羅を焼いて占う事)された河原で行われていましたが、仁明(にんみょう)天皇(八一〇~八二三年・平安時代)以後は鴨川で行われ、東山天皇(一六一七~一七〇九・江戸時代)の大嘗祭再興(一六八七年)以降は清涼殿の東庭もしくは昼御座(ひのおまし・清涼殿の中での天皇の昼間の座所)で行われ、更に江戸時代中期以降になると皇居内で行われるようになりました。
 大正天皇、昭和天皇は京都の小御所(こごしょ)で、今上陛下は皇居宮殿「竹の間」で行われました。

本来は河原で行われていた禊(みそぎ)としての祭儀「御禊」について、民俗学者の吉野裕子氏の著書「大嘗祭」によると、次の様に記されています。

仁安三年の『兵範記』によれば、その河原の頓宮(とんぐう・仮の宮)の規模は、東西約一二〇メートル、南北およそ一三五メートルの地所の、南・西・北の三方に大幌幕をはりめぐらしたものだという。東側は鴨川に臨み東側だけは幕をひかない。開けてあるわけである。この河に臨んで部屋が二棟、東西に建てられた。この蔀屋(しとみや・格子を取り付けた板戸を立て回して囲った仮屋)が御禊幄(おんみそぎのあく)で、この東の御禊幄の中央に百子帳(ひゃくしちょう)がしつらえられた。・・・

「天皇は河原の仮宮におつきになるとまず御禊幄にはいられる。その際は幄の南を経て東からである。やがて天皇はお輿に召しかえられて、御禊幄に赴かれ、その東屋中央の百子帳に西方からおはいりになる。百子帳の中の大床子(だいしょうし・宮中などで用いた腰掛け。板に脚をつけた 机のような形で、寄りかかりがなく、敷物を敷いて使用した。)に一度着かれてから、百子帳前の平敷の座にうつり、ここでお手水のことがある。その時、主殿官人(とのもりのかんにん・役人)は百子帳の外の屏風から参入する。次に御巫(みかんなぎ・神事に奉仕した女官)が幄の南をへて東方から入って天皇に撫物(なでもの)をすすめると、御気をこれにかけてお返しになる。これが御禊である。

百子帳とは、丸栗の片腹をくりぬいたような形をしていて、高さ二メートル余り、直径二メートルくらいで、上には檳榔(あぢまさ・びろうとも呼ばれるヤシ科の常緑高木)で葺かれ、麹塵立涌雲陵(きくじんたてわくうんりょう)模様のとばりを垂れ、その中には長筵(ながむしろ)を一杯に敷き詰め、その上に紫の絨毯のような敷物を敷いてあるとされています。

百子帳の内部には大床子と言う背当ての無い椅子を二脚据え、一つには天皇がお座りになり、一つには御剣が置かれます。

更に御禊の祭儀については「天皇は百子帳において手水の後、その前の平座敷に移られ、中臣女からすすめられる御麻(おんぬさ)に一撫一吻(いちぶいっぷん)される。その後で御巫が御贖物(おんあがもの)を献じ、終了後一切の祓いの具は河に流される。・・・この御贖物は三個の土器に解縄(ときなわ)二筋、散米、人形(ひとがた)をそれぞれ盛ったものである。」とあります。

吉野氏によれば、御禊は前述の通り、東方を重視した祭儀であり、川に面する東方は神聖な方位であると考えられ、天皇は百子帳に西方から這入られると帳(とばり)が巻き上げられている東の川に直面され、禊を行われて東方から神霊を迎えられ、御身に受け入れられると考えられるとしています。

そしてこの御禊は、大嘗祭の前の単なる「修祓(しゅばつ)の儀」としての祓いと言う位置付けではなく、道教や陰陽五行を取り込んで確立された陰陽道による大嘗祭が確立する以前、大和の首長としての大王(おおきみ)が即位する際に行っていた即位の儀礼であったのではないかとする吉野氏の考えに深く賛同するものであります。

神社を創建したり神棚を奉斎する際に東向きを最善とする考え方や、六月と十二月の晦日に執り行われる人形を用いた大祓などの禊(みそぎ・祓い)は、古神道に由来するものであろうと思われます。

そして御禊の後に所謂「大嘗祭」が行われます。

大嘗祭の祭祀の真義については、今日まで漏れ伝わってくる事柄から、様々な事が憶測されてきましたが、未だに多くの謎に包まれています。

その中でも大変重要な事は大嘗祭・新嘗祭共に「御饌(みけ)の供進(神に神饌を供える事)」とされ、更にこの神饌を天皇御自らも共に食されることにあります。

  「宮主秘事口伝(みやじひじくでん)」によれば、「大嘗会(だいじょうえ・大嘗祭の事)は神膳の供進第一の大事なり。秘事なり。」と記されているそうです。

 つまり大嘗祭に於いて最も重要な事は神々への供饌(神饌を供する事)であり、しかもその事は秘儀中の秘儀であり、その一切は記す事も口にも上せられないとしています。

 宮主とは宮中の祭祀を司った神官のことで、代々宮中祭祀に関する全ての事を管理しており、その家に伝わる宮中祭祀の詳細を書き記した書が「宮主秘事口伝」です。十世紀後半から卜部氏が世襲するようになりました。

 神道の祭祀に於いて、神々にお供え物を供する事は最も重要な儀であり、お供え物の無い祭祀はあり得ません。

 ところで、神社の祭儀が終了した後に「直会(なおらい)」と言う行事があります。

直会とは祭りが終わった後、ご神前にお供えした御饌神酒(みけみき)を神職はじめ参列者一同で頂く事を言います。一般的には御神酒(おみき)を戴きますが、会食をする場合もあります。

この「直会」とは、神々にお供えした御饌神酒を食すことで神と人とが一体となる事が出来(神人共食)、神々の恩顧(みたまのふゆ)を戴けると考えられてきたことに由来します。

 大嘗祭で天皇が神々に供進した神酒御饌を食されることが、この「直会」と同じだと捉えられていますが、実は全く異なる重大な点があります。

 直会は祭儀が終了した後にお下がりを食しますが、大嘗祭・新嘗祭に於いては、祭祀の進行中に祭祀者である天皇が神饌を共食なさると云う点です。

 祭祀者である天皇が祭祀の最中に神饌を召し上がると言う行為は、とりもなおさず祭祀者が同時に被祭祀者、即ち神饌を供進された「神」であることを示していることに外なりません。

 つまり大嘗祭・新嘗祭に於いて天皇は祭祀者(祀るお立場)であると同時に、被祭祀者(祀られるお立場)即ち「神」であられるということを意味しており、この祭祀中の「神人共食」の秘儀こそが、天皇が「現御神(あきつみかみ)・現人神」であられることの証であると考えられるのです。

 このことから大嘗祭が「神膳の供進第一の大事なり。秘事なり。」とされている理由は、天皇御自らが神々にお供えになられた神膳を神々と共に食されることで、祀られている神々と御一体となられ、「神そのものになられる」と言う、陰陽道による秘儀であると理解出来るのです。

大嘗祭とは、禊(みそぎ・祓い)を行い、神聖な東方から神霊を迎えて神と御一体になる古神道に基く即位の儀としての前段の「御禊」と、祭祀の最中の「神人共食」によって祀られるお立場になられることで現御神として顕現されると言う、道教(陰陽五行)を取り込んで確立された陰陽道による祭祀に基く即位の儀としての後段の「践祚大嘗祭」、この二つの祭儀によって成り立っています。

以上、明治以前まで即位の儀で用いられた「礼服(らいふく)」袞冕(こんべん)と言う装束の意味と大嘗祭前段の「御禊」、後段の「践祚大嘗祭」から、「天皇様の御本質」とは「現御神・現人神」であり、支那の皇帝や神職(神主)が祀るだけの立場であることとは明らかに異なると言う事、また宮中祭祀の本質は皇祖神や天神地祇をお祀りする事であり、天地をお鎮めになることで五穀豊穣をもたらし、その結果国民の暮らしが安寧になることを祈られると云う事につながっているのであり、所謂「大神主」「神主の長」「祭祀王」「最高神官」「祭祀王」「祈りの存在」と言うような立場ではないと考えます。

天皇様の御本質が現御神であられることから考えれば、今般有識者会議等で審議されている「聖上の譲位」について、最も重要な「霊的な問題」に関する指摘が皆無です。

天皇が大嘗祭の祭祀によって玉体にお宿しになられる御神霊は、通常は崩御された後に、次の天皇の大嘗祭によって新天皇に引き継がれる事になります。

そうなると譲位の場合、その御神霊をご分霊することになるのでしょうか。

然しながら、一度玉体に宿された御神霊を取り除く祭儀やご分霊する為の祭儀は未だ嘗て存在しません。

「分霊」とは同じ祭神で新たな神社を創建する際などに、蠟燭の火を分けるような事を言います。

聖上が天皇の御位を退かれて上皇となられ、皇太子殿下が大嘗祭の祭儀を経て新天皇となられた場合、霊的に見れば、御神霊を宿された「現御神」としてのご存在がお二方になられます。

歴史的に見れば、上皇と天皇が併存した時代には多くの場合政治的混乱が起きています。

本来、北辰の化身であられる現御神としての天皇様は、唯一無二のご存在であられなければなりません。

しかし、譲位によって現御神がお二方ご存在されると言うことは、つまり北辰が二つ存在する事になってしまい、あり得ない状況を人為的に作り出すことになります。

 天皇様と言うご存在をただの職業(天皇様のご存在意義はなくなります)として扱うのであればご譲位のような考え方で宜しいかと思いますが、「国家鎮護の現御神」として考えるべきでありますから、この辺りをよくよく慎重に考えるべき事柄であろうと考えます。

 これらのことから、天皇様に対して「ご高齢である」「お体がきつい」「余生を穏やかにお過ごし頂きたい」といった一般国民に対する人間的な感情をもって「譲位」の問題を判断してはならないと考える次第です。(参照 『大嘗祭』吉野裕子著)




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