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平成29年3月5日 桔梗だより平成29年3月号(3月1日頒布)

2月の陰陽會の祭典および行事

2月3日 追儺式斎行

2月11日 紀元祭斎行

2月17日 祈年祭斎行


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月の陰陽會の祭典及び行事予定

33日  桃花神事 

320日 春季祖霊祭・春季皇霊祭遥拝式

天皇様の御本質

昨今、保守系の論客の中に、天皇陛下に対して、皇祖神、天神地祇を祀られる事から神職の頂点に立つ「大神主」「神主の長」「最高神官」、或いは常に国民のために祈りを捧げられる「祭祀王」、つまり「祭祀者」と位置付ける方が多く見受けられます。

然しながら、天皇様は所謂祭祀者として「神職の頂点」に立たれているのではなく、ましてや「日本国民統合の象徴」などではありません。

仮に神職の頂点に立たれる「神主の長」であられるならば、御公務はさておき、宮中祭祀の継続が主たる目的ですから、ある意味「譲位」も左程に難しい事でも無いと考えますし、万世一家の男系にこだわる必要もなく、女系でもあり得ると言う事になり得ます。

然しながらこの度浮上した「譲位」について、ご高齢故に御位をお譲りになられるということで解決できる問題では無いと云う事、天皇様の御本質について、「天皇」と言う称号、即位の儀の際の礼服(らいふく)、そして一代一度の践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい・以下『大嘗祭』とします。)を通して考えます。

今号では「天皇と言う称号」と「即位の儀の礼服」について、次号で「大嘗祭」について考察します。

天皇と言う称号

そもそも「天皇」とは、「天皇大帝(てんおうだいてい)」と言う、北辰(ほくしん・不動の北極星を神格化した神)に由来します。

 「天皇」と言う称号には、大変重大な意味と称号に値する「御本質」があります。

天武天皇以前は大王(おおきみ)と言う称号が用いられていましたが、支那由来の道教に精通していた天武天皇によって、日本古来の古神道と道教を融合させた日本独自の陰陽道が生まれ、それまでの大和王権の首長である「大王」から、陰陽道の秘儀(祭祀)によって、宇宙最高神である北辰、即ち「天皇大帝(てんおうだいてい)」と位置付け、「天皇」と言う称号になりました。

支那の「史記」「星経」には、北斗七星は水をくむ「斗(ます)」の形をしており、大地を潤す農耕の神の象徴であり、北斗は北辰を中心に一晩で一回転し、一年で斗柄(とへい・北斗七星のひしゃく形の柄にあたる部分)は十二方位を指し、止まる事の無い永久時計として陰陽(太陽と月)、夏・冬を分け、農耕の作業時期を示し、国家安寧を保証するとあります。

そして天皇大帝の聖性の象徴としての神器(道教の用語)は「鏡」と「剣」であり、呪具と威儀具とを兼ねているとされています。(ウィキペディアより)

天皇の皇位の御爾(みしるし)である三種の神器の内、「鏡」と「剣」は天皇大帝の象徴であると言えます。また勾玉に関しては、先史・古代の日本人が魔除け(呪具)や装身具(威儀具)として用いてきたものであると考えると、三種の神器とは日本固有の古神道と支那由来の道教を融合させた御爾であると考えられます。

天武天皇が確立した陰陽道とは、呪術(オカルト)と科学(サイエンス・陰陽五行)が表裏一体となった理論体系であり、原理システムであると言えます。

陰陽道の持つオカルトの要素とは、意のままに操れる霊的存在(式神)を駆使する事で、渇水の時に雨乞いの祈祷を行い雨を降らせる、祟り為す悪鬼悪霊を退散させる、病気平癒を行う、死者を復活させる、呪詛を解き、呪詛返しを行う等々、様々な方術を駆使して禍を福に転じる技です。

また科学的側面とは、天文学・暦学・方位術・食養学・医学・地相を見る事です。

陰陽道の本来の役割は、治世の安定、国家の平安にあり、その延長上には国民の安寧な生活の実現があるのです。

特に陰陽道が最も隆盛し、治世に多大な影響力があった安倍晴明公が活躍した平安時代には、天変地異の予測をはじめ都造り(都市計画)から健康医学に至るまで、驚くべき広範囲に亘っていました。

道教由来の「陰陽五行説」によって、宇宙の成り立ちから大自然の循環、国家の統治法、人体の構造、医学、栄養学、心理学、倫理学に至るまで解明可能であり、陰陽道はこれらを更に発展させたものです。

陰陽道は天武天皇によって創始された究極の原理・世界観であり、天武天皇御自らも陰陽道によって治世を行ったとされています。

そして陰陽道に卓越した天武天皇は、即位の後「天皇(天皇大帝)」となられる一代一度の大嘗祭を陰陽道の秘儀(祭祀)によって確立したのです。

このことから「天皇(天皇大帝)=北辰(宇宙最高神)」と言う称号から考えても、「大神主」「神主の長」「祭祀王」「最高神官」と言う「祭祀者」とは全く異なることが理解出来ます。

【即位の儀の礼服(らいふく)】

冕冠(べんかん) 袞衣(こんえ)

次に、孝明天皇の御世まで続けられた即位の儀の際にお着(つ)けになられた装束から「天皇様の御本質」を考察します。

孝明天皇の御世まで即位の儀の際にお着けになられたのは袞衣(こんえ、こんい)と呼ばれる装束で、冕冠(べんかん・冠)と共に用いられ、袞衣と冕冠を合わせて袞冕(こんべん)と称し、天子御礼服とも言います。

そして袞衣と呼ばれる装束には「袞冕十二章」と言う紋様が刺繍されています。

十二章とは古代の支那や東アジア諸国の王や皇帝の礼服である袞衣に表わされる紋様の事を言います。

「袞冕十二章」の紋様とは、君主に要求される敬神崇祖・公平無私・日照降雨・五穀豊穣などの天地自然の恵みを受けるに足る物心両面に亘る恩沢と施与、事に当たっての決断力・勧善懲悪等の諸徳を象徴する、君主にとって至高の文様となっています。

これらの中で最も尊貴な紋様は、日・月・七星です。

日(左肩・右よりも上位)と月(右肩)で袞衣の両肩(最上位)に置かれています。

ところが、天皇様の袞衣に施された十二章は、支那の皇帝のそれとは明らかに異なっている点があります。

それは支那の皇帝の袞衣には左袖に北斗七星、右袖に織女星(しょくじょせい・和名は織姫星)が置かれているのに対し、天皇の袞衣には北斗七星が背中の上部中央に置かれており、織女星はありません。

この配置の違いには天皇様と支那の皇帝では立場が全く異なると言う非常に大きな意味があります。

支那の皇帝は星辰の代表としての北斗七星と織女星を両袖に付けることで、「農耕」と「機織り」を組み合わせ、皇帝祭祀を司る「最高の祭祀者」である事を意味しています。

つまり支那の皇帝は天帝(北辰)に選ばれた者であると云う事になります。

支那に於ける王朝の交代を易姓(えきせい)革命と言いますが、易姓革命とは、天は己に成り代わって王朝(皇帝)に地上を治めさせますが、徳を失った現王朝に天が見切りをつけた時、革命が起きるとされる儒教に基く理論です。

易姓革命によって王朝が交代し、皇帝が代わっても、天帝に選ばれた者として皇帝祭祀を司ることでその地位が担保されてきたと言えます。

一方、天皇様の袞衣の背筋の上部中央に置かれた北斗七星は、将に「宇宙最高神である北辰の化身、神」である事を意味し、北斗七星は天皇様を中心として回る星である事を表わしていると言えます。

このことから、支那の皇帝が天帝に選ばれた祭祀者として「祀る存在」だけである事に対し、天皇様は「祀るご存在(祭祀者)」であると同時に「祀られるご存在(神)」であると言う事が御本質であり、ある意味、支那の皇帝を選ぶご存在であられたとも言えます。

このように、即位の儀で袞冕をお着けになることで、天皇様が北辰(神)であられる事を象徴していた訳ですが、至極残念な事に、明治天皇のご意向により、明治四十二年制定の「登極令(とうきょくれい)」によって、唐風の装束を改めるとして廃され、皇室最高の儀礼服となったのはそれまで平常に召されていた束帯(そくたい)・黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)になりました。
黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)

明治維新によって、陰陽寮が廃止された事で、天皇様が北辰の化身であられると言うことを上奏できる存在が無くなり、万世一系の皇統のみが強調され、天皇の御本質が曖昧になってしまったのではないかと思われます。

明治以前迄は、即位の儀で冕冠をお着けになることで、北辰の化身・神となられた事を象徴的にお示しになられ、その後、一代一度の大嘗祭の秘儀によって、天皇大帝、つまり現身(うつしみ)でありながら神「現御神(あきつみかみ)・現人神」になられます。

そして大嘗祭を経て、翌年以降、毎年の新嘗祭に於いて、「神」としての御本質を更新され続けることになります。

次号では大嘗祭の秘儀について考察致します。

(参考 吉野裕子著『大嘗祭』・戸矢学著『陰陽道とは何か』)








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